MEMORY.OF.XXXXX

Table of Contents

橿原唯人 YUITO.KASHIHARA

MEMORY.1
『無痛』
僕に特別なところはない。
兄に懸けられた期待、妹に注がれた愛情、それらを背負わずに育った。

僕は、兄が上手く教育できなかったときのスペア。
ワイシャツのタグについているボタンと同じ。
間違いなく機能し、道を踏み外さなければいい。
兄が優秀だと断定されてからは、スペアとしての役目もなくなった。

数ヶ月前、大学受験をしないことに決めた。
かといって就職活動という気にもなれず、履歴書の長所・短所も空欄のまま。

こんなにも『うだつのあがらない』僕を、選んだ人がいた。
イサクとミライ。

付き合い方にはルールを設けた。
受容できることと、できないこと。線引きをした。
『任務外でも会いたい』受容可。時間が許せば。
『リアルでも会いたい』受容不可。不必要。
『メシ食おうぜ』? 受容して、問題はない。
『あだ名で呼び合おうぜ』?? それは、イヤだ。
『じゃあ、コンビ名をつけようぜ』??? なぜ?

「だってオレたち…… 相棒だろ」

あのときイサクは『相棒』以外の単語を口にしようとして、直前で修正してきた。


他人の熱を感じるほどに、冷めていく。
他人の痛みを感じるほどに、麻痺していく。

僕のために怒ったり泣いたりする人間なんて、いない。
そんな人間は、いないほうがよかった。
MEMORY.2
『疼痛』
誰かの存在を有り難く思うのは、誰かが不在のとき。
わかっていた。それが当然だという事。

隣から口出しをされると、本気で鬱陶しい。
でも静まり返ったときに、物足りなさなのか、心細さなのか、もしかしたら『寂しさ』を覚える。

これまでの僕に、不手際はなかった。
叱られることもなかった。
嫌われずに過ごした。
好かれなくても気に留めたことはない。

愛憎みたいな振り切れた感情は、別世界にあるもの。
記憶に残らない人間。
心を揺らさない人間。
それでいい。それでいいのに。

「リアルでもさ、会おうぜ」
そんなことをしたら、せっかくのセブンスコードが台無しだろ。
でも。
「会いに行くから」
そう言わなきゃ、そうしたいと思った。
だいたい、もう壊れてたんだ。
セブンスコードも僕も。

アウロラ。
君の発した光が、影絵の世界をつくりだした。
複雑で、乱暴で、腥い。
極光がおとした影は、生き物の形をしていた。
MEMORY.3
『鈍痛』
他人の身体に慣れることはない。
暑いのか寒いのか、わからない。
痒いのに、どこを掻けばいいのかわからない。
一枚の余計な膜。
一拍のタイムラグ。

今月の僕は『本体』の気配を感じなかった。
抜け殻になっているはずのそれが、別人になっていたから。
そして、相対することができたから。

完全な入れ替わりは初めてのこと。

揺れ続ける内臓の気配。
怒ってるけど可笑しい。
可笑しいけど悲しい。
火のついた燐寸を呑み込んだような、焦り。
そういった心許ない感覚は、倍増するのか半減するのか。

「匂いが変わったので、はじめは気づきませんでした」
榊の言葉は明瞭だ。
なんの他意もないからか、解答として僕を落ち着かせる。

榊のこともヨハネのことも、何も知らない。
どこの誰なのか、齢も性別も国籍も知らない。

でも、本質は理解できている、つもりだった。
MEMORY.4
『激痛』
面接官は、僕を見ようとしなかった。
「志望動機は?」
「御社の運営方針をもとに、ユーザーに規則遵守を促したいから、です」
「それは志望でも動機でもないね。あと、ウチは会社じゃないから」
『御社』と呼べないのなら、呼びようがない。
「自己アピールは? 履歴書には『誠実』とあるけど」
「はい。約束を破ったことはありません」
「一度も?」
「はい」
ようやく、面接官が顔を上げた。
「だったら、友達が多いんだろうね」
「問題ありません」
肩を震わせ、眼鏡の上から顔を覆い、彼は僕をせせら笑った。
「君さ、質問と答えが絶妙に噛み合ってないんだよね。本当に絶妙だ」
そして僕はSOATになった。

約束は破らない。できない約束はしない。
自分に課したことはある。
『イサクを取り戻す』『ウルカを逃がす』。
そして『アウロラの謎を解く』。

「青柳一朔を取り戻したいのなら、アウロラに執着すべきじゃない」
「いや。アウロラの目的を知ることが唯一の手段なんだ」
「あんたは標的を見誤っている」
僕とヨハネは問答を繰り返していた。

「ねえ、これだけはボクと約束してよ。植能は7以上保持しないこと」
「何が起きてもかまわない。それがアウロラの意志なら」
反論に身構えたが、ヨハネは黙って頷いた。
拍子抜けしたまま、僕も黙った。

約束はできなかった。
ただ、問答を終わらせたくなかった。
あの時間は、どこか心地よくもあったから。
MEMORY.5
『鎮痛』
僕には、特別なところがない。
僕にとって、特別だと思えるものもなかった。

特別な趣味、特別な能力。
特別な時間、特別な相手。
なにも好きじゃないし、なにも嫌いじゃない。
楽しいか楽しくないか、その区別はあったけど。

「大切に使え」と槍を預かった。
「気に入っている」と言っていた。
その槍は、僕の特別になった。

友情とか愛情とか、勝ち負けとか真実とか、後悔とか正しさとか。
みんな、なにかしら握り締めて生きている。
終わったとき、残しておきたいもの。
誰かにとっては無意味でも、どうしたって捨てられないもの。

アウロラ。
君はトクベツだ。
この世界で、はじめからトクベツな存在だった。
でも、僕にとっての特別じゃない。
君は僕だから。
僕は君だから。

取り戻せるものがあるなら、与えられるものもある。

なにも知らなくて、ごめん。
教えてくれて、ありがとう。
それがぜんぶ。

青柳一朔 ISAAC.AOYAGI

MEMORY.1
『夢は大リーガーとか言ってたっけ』
「かっとばせ」って、みんな簡単に言うよな。
オレはかっとばすだけじゃない。右に左に打ち分けて、投げて155km/h、
100mは11秒台。
地区予選からスカウトが来るってウワサで、チームは浮き足立ってた。オレを見に来るんだから、落ち着けよ。

その日を間近に控えた、夕暮れ時。
聞いたことのない音が、オレの右肩で響いた。

「まだ一年生だし」などと慰められ、オレの甲子園は梅雨入り前に終わった。チームも予選一回戦で敗退。

蝉時雨の向こう。職員室のテレビから、ブラスバンドの応援が聞こえる。
せめてグラウンドに届かない音量にしてくれよ。
オレはマネージャーとふたり、スコアを記録したり、ボールを磨いたり、すっかり舞台裏の人間になっていた。

それでもガマンできたのは、マネージャーの笑顔があったから。いつもすげーイイ匂いしてて、他のコと違って平気で日焼けしてる。
オレがなにか言うと、恥ずかしそうに笑ってくれる。

まさか。
まさかアイツと付き合ってるなんて。
考えもしなかったんだよな。
MEMORY.2
『日照りから月夜に』
「かっとばせ」ってベンチウォーマーのオレが叫ぶ。
「あなたの右肩は元どおりになりません」って医者は言う。
もう、どうなったっていいや。

補欠のヤツらもみんな、来年の甲子園はないなって空気。コンビニでビールやチューハイを買い込んで、深夜の部室でバカ騒ぎ。
そんなつまらねー動画を、誰が撮る? 誰が見るんだよ。

…… 撮るヤツは撮るし、見るヤツは見るんだな。

校長が頭を下げて『廃部』の二文字を口にした。監督もチームメイトも、悔し泣き。
「飲んだのはオレだけです。オレが退部しますから」
土下座って案外カンタン。狭くて暗い腹んなかを、じっと覗くだけ。

地元のヒーローは、一気にヒールへ。リアルに居場所はなくなった。
さて、どうやって生きてくかな。

SOATの連中は、そんなオレの過去を知らない。
だから居心地がいい。
ただし、組まされた相棒は辛気臭い、つまらねーヤツ。オレが何を言っても、くすりとも笑わない。
だいたい会話になんねーんだよな。

ルールどおりに動く、機械みたいな相棒。
こいつが笑ったら、どんな顔になるんだろ。
MEMORY.3
『おまえがはじめて笑った日』
「だーれだ?」って、目隠しする愛らしいオレ。
いっかいも名前を言われたことがない。だれだかわかってんだろ?

壁当てのキャッチボールが続き、やがてそれがデフォになる。
バッテリーならはじめから役割が決まってるけど。
コンビってこういうふうに役割が決まるのね。

遅刻はしない。借りた金は返す。仕事はキチッと終わらせる。
それがユイト。オレの相棒。
カノジョに疑われ、常に監視されているが気にとめる様子もない。
そこは有難いところで。監視の榊と、最近イイ感じ。

マネージャーの『あのコ』は、オレの元相棒とうまくいってるかな。

「付き合うって、どういうことなんだろうな」
べつに投げたつもりじゃなかったのに。
「互いが信頼に応えることだろ」
めずらしくボールが返ってきた。
だったら……
「相棒って、なんだろうな」
「組んで仕事をする相手だろ」
…… あ、そう。オレってその程度なのね。

しょげたオレに、相棒が言った。
「イサクとの仕事は、仕事じゃないみたいだ」
やっと、笑った。

それがユイト。オレのダチ。

片桐未蕾 MIRAI.KATAGIRI

MEMORY.1
『メモ:内側にForeverと刻印すること』
常と変わらず私が出勤すると、皆が待ち受けている。
弾けるクラッカー。
「片桐隊長、おめでとうございます!」

その12時間前。
「シフトを操作するのは職権乱用だ」
そんなことばかり言っていたユイトが、めずらしく休日を合わせて某テーマパークに誘ってくれたの。
「忘れ物したみたいだ。とってくる」
「ここで待ってるね」
ベンチで彼を待つ。そしたらなんと、妖精さんが迎えにきたの!
「さあ、お城へ行きましょう」

お城の広場は妖精さんでいっぱい。私を中心に歌って踊る♪
そこへ……王子様姿のユイトが現れ、片膝をつく。
「片桐未蕾。これからの物語を、僕と紡いでくれないか?」
開いたケースにはシンプルなプラチナにプリンセスカットの1カラットダイアモンド☆
私は涙を浮かべて「はい」って頷く。
その瞬間、花びらが舞って、お城から花火があがったの……!

その1年前。現在。
『求婚誘導大作戦』結実の日まで365日をきった。妖精さんの衣装は仕立て屋に注文済みである。
恋は戦と同じ。準備万端に整えねば、勝利の美酒は味わえぬ。

む? メールだ。
『理由なく勤務中に呼び出すのは職権乱用だ』

ルールを守りたがる彼と、ルールを作りたがる私。
ふっ。お似合いじゃあないか。
MEMORY.2
『メモ:大きな傘を買うこと』
もう夕飯時か。
今日も高タンパク・低脂肪・栄養たっぷりのメニューを用意した。
む? 雨音が聞こえる。予報が外れたな。
仕方ならぬ。

……大きな傘で、お迎えに行かなきゃ!

私たちのおうちは駅から徒歩7分の分譲マンション。
静かな住宅街にあるの。あと30年でローン完済ってとこかしら?
自慢は大きなアイランドキッチン!
料理上手な私のために、ユイトが選んだ部屋なの。彼の書斎は子供部屋になっちゃうかも……?
だけどネ♡

『もうすぐ駅。なにか買ってくものある?』だって。
お迎えはサプライズにしちゃおうかな?
『ブルーベリーをお願いね。明日のスムージーに入れるから』な~んて返信しちゃった!

駅の改札。柱に隠れてアナタを待つわ。
キタキタ! 急な雨に困り顔。
走り出そうとした彼に、傘を差し出す。
「おかえりなさい」
あいあいがさで帰りましょ♪

おうちに着くと、玄関からいい匂い。
「今夜はローストポークとプロヴァンス風のラタトゥイユよ」
「美味そうだ」
ふふふ♡ そっけないけど喜んでくれてるわ!

……以上。
5年後の我々の暮らしだ。

待てよ? 確認せねばな。
『好みの肉の種類を知らせて欲しい』
7時間後、返信アリ。
『豚かな』
ふっ。やはりな。
5年後の今日。夕飯はローストポークだ。
MEMORY.3
『メモ:交際同意条項をトリプルチェック』
私は楽観主義者とは言えない。
夢見心地のときもあれば、疑心暗鬼のときもある。

なぜ、ユイトなのか?
それは彼が『澄んでいる』からだ。
嘘のない人間と信じている。
そんな彼が『濁る』ところは見たくない。

榊のリポートは正確無比である。
ユイトの一挙手一投足が分単位で記載されている。現状で不貞の兆しはない。だが、油断は禁物。

『クチュール』なる、ふしだらな衣類を纏った女の影がある。
その女が現れてよりユイトの挙動に変化が生じた。どこか、虚ろなのだ。

マズイことに青柳のIDが損壊されてしまった。
同等の植能を持つ者を新たな相棒にせねばならぬが、『上』から推薦されたのが椎名鞘子一名のみであったのだ。
椎名は無愛想な女だが…… あーゆーのに限っていざというときに大胆なのだ!
なにやら言動が意味深だし!

乾に椎名の尾行を命じたが、ろくなリポートが上がってこない!
あいつはナニをやってんだ?
どうやら椎名の行動範囲は賭場の周辺のようだが……。

『上』には逆らえぬ。
ならば椎名が不祥事を起こすのを待つしかない。

万が一のことがあったなら。破滅、あるのみ。

信じてるからね、ユイト。
私たちの愛を!
あなたが濁ってしまったときは、全力で浄化してあげる。

榊莉亜 RIA.SAKAKI

MEMORY.1
『おしゃべり ~わたしにできること』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

わたしと話していて、退屈しませんか?
え……? いえ、わたしは楽しいです。
このおしゃべりが、毎日のご褒美タイムなんです。

仕事ですか? うーん。
わたしは橿原さんを疑ったことがないので、どうして監視をしなくてはならないのか理由がわかりません。
でも、青柳さんが言うような『他の任務』ができるとも思えません。
だってわたしには、嗅ぎまわるくらいしか能がないので……。

え? そんな……。たいしたことは……。
たしかに、このお茶に香りがなければ、ただの苦いお湯かもしれませんね。
それは嗅覚のおかげかもしれません。

このセブンスコードでは、ほんとうの匂いを嗅ぐことができません。
そのひとがどこからきて、どんな性質を持ち、どんな感情を抱くのか。それはわかります。
かといって、干渉して影響を与えることはできません。
これから起こりうる悲劇を、未然に防ぐことはできないのです。

ただありのままを記録し、伝えるだけ。

この街もにぎやかになりましたね。
はじまりにあった匂いは、ひとつだけでした。
あなたの匂いです。

ここは、あなたが創った世界だと思っていたんです。
だって、最初は幸せな世界だったでしょう?
MEMORY.2
『おしゃべり ~未完成な匂い』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

いえ、昨日のことは気にしないでください。
いまが不幸せというわけではないんです。
仕事も嫌いではありませんし、SOATの皆さんが好きです。
ただ、いろいろありましたので。

あの…… 青柳さんのこと、なにか判りましたか?
……そうですか。また会えるような気がするのですが……。
そういえば以前、青柳さんのことを知りたがっていましたよね?
誰と組ませるのかを決めるため、でしたよね。
橿原さんも落ち込んでいます。まるで別人のようです。

わたしはずっと橿原さんを尾け回し…っ…監視していたので、ちょっとした変化にも敏感になっていて。
いまは感情を押し殺しているのだと思います。すぐ近くにいても、その匂いに気づけないほどでして。

…橿原さんの匂い、ですか?
なんと表現すればよいのか……。
万人ウケするタイプ、ではありますね。
まだ完成形も見えていません。

あなたと少し似ています。
他者の移り香に濁らない、澄んだ匂い。シンプルでフクザツ。
……はい。そういうこともあるんです。
あなたの匂いも、輪郭しか完成していません。

と、いうよりも、完成しているひとなんていないんです。
この世界の匂いも、未完成ですよ。
MEMORY.3
『おしゃべり ~タイムパラドックスとこんぺいとう』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

ごめんなさい、今日はお煎餅もお饅頭もなくて、こんぺいとうしかないのです。甘いものはあったほうがいいと思いまして。
ああ、はい……バレてしまいましたね。
そうなんです。このところ味覚のバグが多発していて、まともなお茶請けが手に入らないのです。
え? そんなことができるんですか?
いえ……でも、わたしはこんぺいとうが好きです!

はぁ。温かいお茶にはほっとします。
ところで、タイムパラドックスってなんですか?

……なるほどです。
では、わたしはなにもお話ししないほうがいいのですね?
え? そうですね……確かに『今』も『過去』になります。でも『今』は『未来』なのでしょうか?
主観の問題ですね。相対的です。
『今』が絶対に『今』とは言えません。

わたしの過去、ですか?
お話しするようなことはなにも……。それより、あなたのお話を聞かせてください。

?
それは、いつのことですか?
はい。知っています。氷砂糖で作った蜜を、お鍋で回し続けるんですよね。
核、ですか?
雨粒にも核がありますよね。

わたしの核、ですか?
それは絶対的過去に存在するのでしょうか。
だけど、絶対的な時間軸は存在しないはずですよね。
MEMORY.4
『おしゃべり ~ナイショのおはなし』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

困っています……。
とても恐ろしいことが起きまして。今後、どうやって任務をこなすべきか……わからないのです。
……いえ、それは……思い出したくありません……。

はい? ええ、それは思い出せます!

あの頃は、SOATの隊員も5、6人でしたね。
お客様も少なかったのですが、とっても忙しくて。ユーザー規定も抜け穴だらけでしたね。
開園までに定員にならなかったのが不思議です。応募者は多かったのに……。ああ、そうでしたね。書類審査をされたのは、あなたでしたね。
わたしの合格の決め手はなんでしょう?
……ですよね。秘密ですよね。

あのときの面接官の方が、どなただったのか。わからないのです。
眼鏡をかけた、ほっそりとした方です。
ヒノハラさん? ですか? いまはなにをなさっているんですか?
実験? ……それは、セブンスコードで、ですか?
興味を惹かれますね。あ、はい! わかっています。ナイショですよね。

ほっぺですか?
もう傷はふさがっています。ありがとうございました。
危険? ……そうですね。もう任務がないので。
辞めてしまってもいいのかも、しれません。

でも。まだ、なにも始まっていないように感じるのです。
MEMORY.5
『おしゃべり ~このままがいいのです』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

はい。さきほどの橿原さんのご依頼ですよね。
これから向かいます。ヨハネさんは、大切な方のようですので。
……大丈夫ですよ。わたしにもイザというときの切り札があるんです!

え? 自分自身に、ですか?
そんなこと、考えたことも……。違います。わたしは、ちゃんと……ちゃんと憶えています。

いつ、どこで?
それは、重要ではありません。

……だから?
だから、こんな想いも忘れてしまえと言うのですか?
忘れられるものなら、とっくに忘れているはずです。忘れるという能力は人間にのみ有効に働くのです。だから…… わたしも、そうしなくては……と。

あんなふうに、綺麗に生まれたかったです。
……それは、あなたの価値観です。
胸の奥が痛いのです。
いえ、傷はありません。

やめて。
やめてください。
痛いままが、いいのです。

杉浦さん。ひとつだけ願いを叶えてください。
この痛みを消さないでください。
この想いを消さないでください。
わたしは、このままがいいのです。

なにも始まらない。
でも、負けない。

……え?
もし、そうなったとしたら。
嬉しいのですか? 悲しいのですか?

ただ、これまでのように。そばにいたいだけなのです

櫟夜翰 JOHANNES.KUNUGI

MEMORY.1
『両腕を引かれて』
ボクが10歳の頃、両親の離婚が決まった。
父も母も、ボクを欲しがった。

家庭裁判所に持ち込むのは面倒だから、ボクが決めなくちゃならない。
これから、どちらと暮らすのかを。

共働きの両親は、それぞれ自由な財産を持っている。
父は母に、母は父に、負けられない。
「お小遣いをあげる」「もっとたくさんあげる」「なんでも買ってあげる」
「もっと高いものを買ってあげる」……さあ、どちらを選ぶ?

そのうちに、ボクは嘘をおぼえていった。

服が欲しい。パパはいいって言ってくれたよ。
男らしくない? ママはいいって言ってくれたよ。
似合うでしょ。パパは褒めてくれたよ。
かわいいよね? ママはボクが特別だって、認めてくれたよ。

ぜーんぶ、嘘。
ざまーみろだ。誰がボクを所有しようと、ボクはボクのモノ。

一年後。ただ苗字を変えてみたくて、ボクは母を選んだ。
その後も両親は競ってボクの気を惹き続けた。
高校の頃、父が再婚するまでは。

もっと大きな嘘をついて、もっと大きなモノを手にしたい。
ボクには、その価値があると思っていた。

いつか、それを証明してみせる。
ここではない、もっと広大な世界で。
MEMORY.2
『小魚の処世術』
あの頃、父との面会は毎週末だった。

医療機器メーカーに勤めていた父は、社内イベントにもボクを連れ出した。
記憶に残っているのは『サケの稚魚放流会』。
初夏。11歳のボクにとって、退屈な催しだった。

ボクはサンダルを脱ぎ、川底に爪先をつけた。
「水は冷たい?」
眼鏡の若い男がボクに訊ねる。
答えずにいると「君は男の子なの?」と、腕を掴まれた。
ムシズが走るような感覚がした。
「息子です」父が割って入る。
「カンバさんの?」男が意外そうに笑う。
「このひとは優秀な研究者さんなんだよ」
父の眼差しに、圧を感じた。愛想よくしなさい。

「お名前は?」「よはね」「いくつ?」「11」
「僕が怖いの?」
あたりまえでしょ。
「だったら、群にまぎれないと」
赤い魚群に、1匹の黒。あの絵本みたいに?

「でも、君は見つかっちゃうよ。どこにいても必ず」

フリーズしたボクの手を誰かが引っぱった。
向こう岸に着いてから、手をほどく。
「ごめん。あれ、俺の叔父さんなんだ」
中学生がボクに頭をさげた。
男はまだ、遠くからボクを眺めていた。

稚魚は勢いよく川面に泳ぎだす。
だけどいつかは、腹を裂かれて喰い物にされる。

あいつ、だったんだ。
ボクはとっくに標的にされていたんだ。
MEMORY.3
『ハイエンド』
VRIR―― 仮想統合型リゾート・セブンスコード。


高校生になって自立を考え始めたとき、足を踏み入れた。
最初は興味本位だった。
運営寄りの立場なら得をすると聞き、SOATの入隊テストを受けた。
適性はA+。どういう採点基準なの?
角膜の〝植能〟を貸与され、いきなりの上級隊員だ。

このコルニアの能力は、まさにボクにうってつけ。
ごまかし、あざむき、煙に巻く。

そこに目をつけたのか、ミカという同僚が儲け話を持ちかけてきた。

賭場でのイカサマ。楽勝じゃん。
賽の目はボクの思いどおりに変えられるし、手札もブタ知らず。
もう、SOATで働く必要もない。
ここでの通貨はリアルで換金できる。当然、リアルで使うつもりだった。

なにを買おう? ボクはいま、なにが欲しかったんだっけ?

リアルで物を買っても、場所をとるだけ。
だったらこのセブンスコードで好き勝手しようかな。
まずは殻をハイエンドにアップグレード。服。靴。アクセ。他には……。

なにを買おう。ボクにはいま、なにが必要なんだっけ。

ヤバイ。賭場の連中がボクを探り始めた。

ボクはまだ、小魚だったのかな。
誰に追われているのか、気づけなかったんだから。
向こう岸に導いたひと。
あんたは憶えてる? ボクは思い出したよ。
MEMORY.4
『鏡の向こうの策士』
頑固で融通のきかない変わり者。
知ってる? ほんとうに変わってるヤツは自分が変わってるって気づかないんだよ。

ボクが怒ると、あいつも怒る。コミュカ0のくせにミラーニューロン働かせてんじゃないよ。
ちょっとは学習してんのかな?

ヒトを振り回すのは好きだけど、振り回すように仕向けられてる。
要するに、このボクが振り回されているんだ。

あー。爪がボロボロ。噛んだらダメってわかってるのに。
この爪も幻。リアルのボクに、爪を噛む力なんてない。脳が筋肉に信号を送れない状態。セブンスコードの捕縛って、そういうこと。
いまごろは病院かな?
神経転移したまま気を失っているボクを、誰かが見つけたなら。

ときどき思う。リアルに戻りたくないなって。
あのバカと出会ってから……なのは偶然。たぶん。

もし、リアルであいつと会ったら。ぎこちない挨拶をするんだろうな。
「はじめまして。あっちでは失礼なことを言ってゴメンナサイ」
でも、あいつは相変わらずで。ほんの数分で喧嘩になる。
裏表を使い分けられるほど、器用な人間じゃないから。

あれ?
あいつのミラーニューロンが働いているなら、ゴメンナサイにはゴメンナサイが戻ってくるのかな?

いや。そんなの変だよ。
MEMORY.5
『ボクが欲しかったもの』
綺麗とか、可愛いとか。わかってるんだよ。
だからニレも、イカサマにこじつけてボクを追ってくる。この殻を手に入れるために。
両親にとっても、連れ歩いて見映えのする子ども。

ミカにはボクの植能が必要で、カネの話ばかりだったっけ。

そもそもこのコルニアがあれば、ボクはどんな姿にもなれたんだ。
カネなんていらなかった。
綺麗とか可愛いとかは、もういらなかった。

「返却する義務があったはずだ」とか、バカみたい。
「助けて欲しいなら素直に言え」とか、ナニサマ?

助けるのは、ボクのほうだ。
いくらでも警告するし、ちゃんと調べる。あんたの身に、何が起きているのかを。
親切とか良心とかじゃない。
興味本位とか好奇心でもない。
このセブンスコードを守れるのは、あんただけだから。

ボクに正義感なんてない。
目の前にあるものを、明らかに見る。
ボクがほんとうに欲しかったものを、あきらめない。
それだけ。

いま、真実が見えてきたよ。手は打った。
ニレはボクに任せて。
ユイト。あとは、あんた次第だ。

そろそろ、向こう岸が見えてきた。
まだ川を渡りきるには早い。
もう少し。コルニア、もう少しだけ動け。

嘘をつくためじゃなく、真実を映すために。

柚木歐児 OHGI.YUNOKI

MEMORY.1
『空から地下へ』
飛行機が好きだった。
ヨーロッパ生まれだから、歐児と名づけられた。海外旅行も頻繁だ。

機体は離陸体勢に入る。窓外で翼のフラップが動く。滑走路で加速度をあげ、エンジンが轟音をあげる。離陸決心速度、V1。VR、ローテート。機首あげ。身体は地上と離れがたく、慣性の法則で揚力に抗う。
見る間に、すべての小窓が空色に染まっていった。

最近は、そんな情景を思い出すこともなく、クロカゲでショーマンを演じている。
薄暗い地下組織。悪くない。
ここに誘ってくれたのは、義理の叔父だ。戸籍上は母親の弟。
母方の旧姓なので、苗字は違う。

彼が祖父母の養子になったのは、複雑な理由がある。
まずは、彼が優秀で、恵まれない環境にあったため。
しかし母の養子とした場合、母の死後に俺と相続問題が勃発してしまう。

諸々鑑みた結果、彼は俺の叔父となった。

子供時代から同居していたので、俺にとっては兄のようだった。
企みに満ちた、狡猾な兄。

彼は俺を操り、支配する。
勝ち目はない。でも、どーにかなるって思い始めた矢先だった。

見る間に、すべての小窓が空色に染まっていく。
雲間を裂いて、機体は音速で俺を運ぶ。
行きたい場所へ。行きたくもない場所へ。
MEMORY.2
『消滅に耐えられない重さ』
俺の印象は『軽い男』。
盛り上げ上手? いいね。
口が上手くて薄っぺら? そうそう。
「あんたなんて憎むほどの価値もない」
うん、わかってる。

ありのままに育っていたら、そういう男になる予定だったから。

『さがさないでください』
小5の冬、俺は家出をした。
母さんの誕生日プレゼントを買ったあと。あいつから「教授の研究室に入る」と報告があった。
「こんなに嬉しいことはないわ」
母さんは惚れ惚れとあいつを眺めた。プレゼントは捨てた。

「今夜も帰れそうにないわ。歐児を見ていてね」
あいつは笑顔で「わかったよ」と頷く。
「勉強も教えてやってね」
「まかせてよ」と頷く。

あいつから教わったのは不正解ばかり。漢字も数式もデタラメ。
それなのに、これだけは正解だと言わんばかりに。
「ママにとっての君は、僕を引き留めるための口実だ」
毎日毎晩「僕らのために存在してよ」と俺に囁く。

消えたかった。
その夜、東京は粉雪に覆われた。
翌朝には、俺ごと溶けてくれよと願う。

朦朧の手前で「そろそろかな」と、あいつが見下ろす。
「ここにいるよ、早く救急車を」
「ありがとう、あなたは恩人よ」
雪は灰色の下水になっていた。横顔を浸した俺は、不正解に発熱していた。
MEMORY.3
『神のリスト』
セブンスコードが監視社会だということを、皆は知らない。
神の覗き穴のように、あちこちに『目』がある。

俺には俺の『耳目と手足』が必要だ。
身を守るために。先手を取るために。
あいつのゲームの駒となりうる人間を、特定しようとした。

まず、この世界のコアとも言えるSOATで情報収拾をする。
そのための人員を集めたが、どうやら独自の活動を始めてしまったようだ。
連中は俺に仰々しい呼び名をつけ、崇める。

面倒ではあったが、有益なログが集まった。
神のリストに載りそうな、ひとり、ふたり。

気づけばいつも、あいつの掌の上。
掬いあげられた小魚のように、じたばたともがいている。
「無駄だって言ったよね。どうして繰り返すの?」
息ができない。
「またナニか見つけたんだね。デリートするよ」
ようやく水に戻された頃には、なにもかも忘れている。
記憶を、消されている。

闇雲でもいい。
動き続けなくては。
あの7人の少女たちは、間違いなく人柱にされる。

SOATに放った『網』が、獲物を捕らえた。
クスノセ ミカ。
その相棒の、クヌギ ヨハネ。
引き寄せなくては。このクロカゲに。

理由は思いだせなくとも、このふたりを追い続ける。
これから始まるゲームに、俺が参加できるように。

最悪のエンディングは、俺が書き換える
MEMORY.4
『川底の石を崩して』
こいつ、女だったっけ?
見覚えがある、ような……。

櫟 夜翰は想像以上の曲者だった。
悪目立ちをして、今やニレの関心の的。

どうやって二つ目の植能を手に入れた?
『あのひと』が与えたとは思えない。では、SOAT以外から?
厄介だ。ゲームが始まる前に、俺が仕留めなければ。

実際に、そうすべきだったのに。

だんだん、見届けたい気持ちになっていった。
こいつに与えられたロールを、こいつが演じきれるのかどうか。
ニレの配役に、意図があったのかどうか。

……そうだ、思い出した。
配役はもう、数年前から決まっていたんだ。

穏やかな清流が、脛に当たって割れる。
川底の石が、土踏まずに食い込む。
五月の木漏れ日のもと。
ニレが、子どもの腕を掴んでいた。

「君は見つかっちゃうよ。どこにいても必ず」
その言葉に、子どもは怯えている。

助けなきゃと思った。でも、動けない。
目を瞑る。息が苦しい。冷たい汗が背中を走る。
一歩ごと、石が崩れる。転びそうになりながら、進んだ。

目を開けたとき。俺はヨハネの拳を掴んだまま、対岸に居た。
「ごめん。あれ、俺の叔父さんなんだ」
「大丈夫?」
小さなヨハネが首を傾げた。
「あんたは、大丈夫なの?」

あのときも、いまも。
ぜんぜん大丈夫じゃねーよ。
MEMORY.5
『すべてを見届けられなくても』
少女たちは、もう戻れない。
ナナシのガキを除いて、帰る場所を失った。
ソウルも昏睡に落ちた。
俺の考えなんて、クソガキには伝わらないまんま。

まだ望みはあった。
ユイトとヨハネ。ミカとリアちゃん。
俺を含めて5人。一枚岩になれば、勝算はあった。
それを崩したのは他でもない、俺だ。

これまでに何度も『あのひと』を頼ろうとした。
彼はきっと、リアちゃんからなにもかも聞いていたはずだ。
だが、自ら動こうとはしなかった。
アウロラの夢を守るためだろう。

もはや、終着点は目の前だ。
機体は着陸体勢に入る。窓外で翼のフラップが動く。滑走路へ向けて、格納部から車輪を下ろす。

鋭く、凍てつく風が吹きつける。
俺は母さんに手を伸ばす。
こんなに遠かったっけ? こんなに離れてたっけ?
もっと早く話せばよかった。本当の気持ちを。
いつかの粉雪が、視界を灰色に覆った。

ソウルとユイトには、ちゃんと確認しておきたいんだ。
俺は、いい兄貴だったよな?
きっと、いい父親にも、いいジジイにもなれたと思う。
いい息子にはなれなかったから。
そのぶん、取り返すつもりだったんだ。

これで、少しは取り返せたかな?

これからのことは判らない。
それでも、いい旅だった。

楠瀬己架 MICHA.KUSUNOSE

MEMORY.1
『ココロとココロで恋しちゃう♡ @O-Room』
みんな、アタシのこと気になってるんじゃない?
いいわよ~教えてアゲル♡
秘密の部屋『O-Room』からお送りするわ!

ここ数十年、ジェンダーとセクシュアリティーの多様性が話題だけど。わかってないひと、多いのよ。
性別と恋愛対象をセットで考えがちじゃない?

なんでこんなハナシするかっていうと、大切なのはココロだって言いたいからなの。ジェンダーって言っちゃった時点でカラダのハナシに持ってかれがちでしょ。
要は人間が人間と向き合うってコトよ。
アタシはアタシを『オトメにしてくれるヒト』がスキ♡
性別なんてどーでもいいの。

このセブンスコードにいると、いろいろ考えちゃう。
たとえばさ、アタシはSOATで肝臓の植能をもらったんだけど。とーぜん内臓はカラダの一部で、脳もカラダの一部なのね。

みんな、ココロは脳が作ってるって思ってない?
ソレって違うと思うの。

言ったコト、やったコト。アウトプットしてきたすべて。
アタシのココロは、この世界のあちこちにあると思うの!
せまーいカラダのなかになんて、おさまらない☆

だからうつろいやすいのよね。

ヨハネってココロをカラダに押し込めようとするタイプでさ。
本人は『自由に生きてます』って態度なんだけど。
こそばゆいくらいに不器用なのよ。最初はソコがカワイイと思ったんだけど。だんだんカユくなってきちゃって。

ウブなままじゃ困るから、ちょっと勉強してもらおうかしら?
……なーんてね!!
MEMORY.2
『トモダチだから許しちゃう♡ @O-Room』
やっほー♡アタシの恋愛観については話したわよね?
今回も秘密の部屋から。ホットなトピックをお届けするわ!

トモダチってナニ?って訊かれて、まあテキトーに答えたんだけどさ。
ヘンな質問よね。
友達って思ってたとしても、一方通行ってこともあるし。
あなた友達?って確認するワケにもいかないし。

人間関係、ひとつとして同じカタチってことがないのよ。

ヨハネは友達だって、アタシは思ってる。
でも会話が弾むって感じじゃない。沈黙がイヤで、ついおカネの話ばかりしちゃうのよね。
あのコはウブなハートに鎧を着せちゃうタイプ。
すっぽんぽんのハートを見せて欲しい~!

なぁんて思ってたら、サヤコって腹黒女からちょーどいいオファーがキたの。賭場でのイカサマをチャラにするかわりに、ヨハネを渡せってさ。
らじゃらじゃー♡
ヨハネなら、角膜の植能でカンタンに賭場から逃げ出せるハズだもの。

アタシが噛んでたって知ったら、あのコはどんな反応するかしら?

これで縁が切れちゃうようなら友達じゃない。
スルーして「また組もう」って言われたらビジネスライク。やっぱ友達じゃなかったってコト。
「どうしてなの」ってエモってきたら……ぽんのハートがポロリする!
おカネと友情、一挙両得♡

こんなのって残酷?
アタシなら、同じことをされても許しちゃう。
ヒドイじゃないのー! ってブチまけて、納得したら仲直り。

アタシは結局、ヨハネと、ヨハネのコルニアを信じてるのよ。
MEMORY.3
『コトバがなくても通じちゃう♡ @O-Room』
今日もゴキゲン♡なワケないっつーの!
秘密の部屋から出られなくなっちゃったわ……。

みんなから追っかけられて困っちゃう! ミカにゃんよっ♡

「これって夢かも」って、途中で気づくことない?
そんな感じだったんだけど。自分が他人になったような、他人に自分が入り込んだような、不思議体験をしたの。
なんでだか、ずっとヨハネがそばにいた。
もちシラフだったわよ!

そのあと、まえよりヨハネと仲良しになれたの。
たくさん話すより、一緒にイロイロやったほうが互いを理解しあえるってコトみたい。
夢だけど、夢じゃなかった。
アタシじゃないけど、アタシだった。
共通の思い出が増えたってワケ。

話すってゆーか。文字のやりとり含めて、言葉を交わすことには限界があると思うの。
洗いざらい、なんでも喋るひとなんていないし。そんなことされたら「どんだけ自分を知って欲しいワケ?」ってなるわよね。

そのコの行動。表情。どんなときに笑うのか? どんなときに泣くのか?
「アタシと同じ」でも「アタシと違う」でもイイ。
そういう情報のほうが大事。
そのコ自身より、そのコを理解できちゃう部分もある。

そのコは、カシハラ ユイトくんって名前らしいの。
会ったこともない、アタシだけどアタシじゃないコ。

ほんと不思議体験。
ちょっと黙ったらヨハネのこともよぉーくわかったわ。
アタシって喋りすぎだったのかしら?
雄弁は銀☆沈黙は金。
MEMORY.4
『アナタのパイをかじっちゃう♡ @O-Room』
ここしばらくオージ様に会えてないのよね……。
ちょっぴりイライラ☆ミカにゃんよ!

愛しのオージ様とはゴブサタだけど、やっとユイトくんに会えたのよーっ。
ま。可愛げのないコよね。
でもわかる。このコは嘘をつかないコだって。

よくもアタシやヨハネになりすましたモノよね。
不器用なクセに「他人にあわせられるから器用だ」って言うの。本心を隠したままで「ハイハイ」ってあわせるのは器用とは違うのよ!?
流れに身を任せるだけじゃ『生きてる』かどうかもアヤシイわよ。

まずは、己を知ること。
そして、相手に知ってもらうこと。

セルフプロデュースって言うじゃない?
アレってすっごい大事。
嘘をつくとか演じるとかじゃなくて『どう見えるか』を意識するの。そのためには『見せられる顔』と『見せたい顔』を解っておかなくちゃいけないワケ。

ユイトくんにはそもそもの『セルフ』が見えないのよね……存在感がないかっていうと、そうでもないのが不思議。

たぶん、理想がないのね。こうなりたいって人物像が。

自分を消さなくても、うまくいくことはたくさんあるのよ?
伝え方さえ知ってればイイの。
……うまくいかなくたって、かまわないわ。
ミルフィーユみたいな積み重ねで、アナタの印象ができていく。
一度の失敗で、大切な出会いを逃さないで!

ユイトくんはまだ『透明パイ』を重ねた『透明ミルフィーユ』だけど、食べたら意外と美味しかったりして♡
いっただきまぁーす♪
MEMORY.5
『思い出したら笑えちゃう♡ @O-Room』
まさか、よね……。
アタシをオトメにしてくれたのは、ちっちゃいウサギちゃんみたいなコ。

はぁ~ン? わかってるわよ、自分のことカワイイって思ってんでしょ?
……なんて思ってたコが、イザというときに頼れたりして。
『ギャップ萌え』なんて言うけど、結局は人間としての『幅』や『深み』よね。

長く生きてれば身につくモノでもなくてさ。
アタシもまだまだ未熟だわよ。

でも、『今なんだ』っていうタイミングはわかってる。
勝つか負けるかの瞬間。
得るか失うかの瞬間。
アナタはナニが欲しいの? ナニを捨てるの?
人生なんて、そんな瞬間の繰り返しよ。ボーっとしてたらナニも手に入らない。
余計なモノを持ち続けたり。本当に欲しかったモノを逃したり。
思ってもみなかったご褒美がもらえたり。

アナタは、どんな人生を送りたい?

クヨクヨしないで。後悔はしないでね。どんな出来事も、思い出したら笑うのよ。『自分を笑う』って高等技術だけどさ。
身につければ楽になれるスキルなの。
楽をするのは悪いコトじゃないわ。

アナタはアナタを好きになってあげて。それでいいのよ。
きっともっと楽しくなるわ。
そして『ありがとう』を忘れないでね。

もう語り尽くした気分♪
ああ、きれいな空。
アナタがどんな選択をしても、まだまだ物語は続く。
アタシにまた会いたくなったら、いつでも声をかけてちょうだい。
もう、友達だからね。

楡舞哉 MAIYA.NIRE

MEMORY.1
『黒色曲馬団』
ようこそ、黒色曲馬団へ。
ここは、金を賭け、酒を飲み、狂宴に耽るための場所。
常連はクロカゲと呼ぶ。黒鹿毛は道化師の乗り物だからね。

ここで起きたことは他言無用。
どんな恥をかいたとしても、気にすることはない。
いかに汚らしい行為も看過される。
この一晩は、君の本性を曝け出していい。

なぜ、こんな場所がセブンスコードに存在するのか?
暗部のない人間はいないでしょ。
高潔ぶった奴ほど、何がタブーかを知っているんだ。それを犯さないために知らなくちゃならないんだよ。
枠の外にこそ甘美は宿る。
枠を破り、開放感に浸って欲しいんだ。

ただし、ルールが3つ。
退屈しないこと。
踏み倒さないこと。
イカサマをしないこと。
これらは厳守してもらう。

客がハメを外すたびに、僕は潤う。
僕自身は務めて禁欲的。
……なんて言ったら信じる?

実際。残念ながら、クソ真面目な人間なんだよ。
MEMORY.2
『雨夜の星』
生まれたときの名は、ヒノハラ。檜原舞哉。

地方都市の、そのまた郊外。築40年の公営団地で育った。
鉄の扉。コンクリの壁。細長い一部屋を区切っただけの、台所と寝室。
水道は錆を吐き、畳は湿気にうねっていた。
押し入れから引きずり出されて、僕は身を丸める。声をあげたら、隣人に気づかれる。気づかれたら、また殴られる。

学校は楽しかった。
下手に自己主張をしなければ、誰からも罰せられない。国語は今も苦手だけど、勉強が好きだっ た。
理由をつけて、体育は休んだ。子どもの頃に折られた脚は、病院で診てもらえなかった。
いまも歪んでいるし、走れば転ぶ。

放課後は図書館で過ごした。
あらゆる生化学書を読みあさった。
雨音が響く窓際の席。
「こんなに難しい本を。偉いのね」
真珠のネックレスが僕を覗き込む。どこか、隙のない女性。

それもそのはず。
彼女はキャリア官僚であり、肩書は事務次官だった。
司書が僕を『特殊』だと感じ、旧知である彼女に報告したらしい。
特殊なのは、本の選び方?
それとも、青アザや、穴の開いた靴?

「うちへいらっしゃい」
そのひとは、復元不可能なまでに僕を組み換えてしまった。
MEMORY.3
『托卵の雛鳥』
彼女には息子がいた。
僕よりだいぶ年下の、クソガキ。
巣のなかに、ふたつの卵。彼は先住者。僕は?

「勉強をみてやってくれる?」
そう頼まれて、ある実験を思いついた。
いつ、このガキがデタラメを教わったと気づくか。どこで、恥をかくのか。
どうやって、正しい解答に修正するのか。なにが、僕の目的だと考えるのか。誰に、報告するのか。

あいつは予測外の反応を見せた。
まず、デタラメに自分で気づいた。集団内で恥をかくこともなく、迅速に修正をし、僕を含む誰にも報告をしなかった。
理由も詮索せず、何事もなかったように振る舞う。

観察を続けて、母子の関係性は一般的ではないと判断できた。
母親は留守がち。息子は駄々をこねるでもなく、学校生活を楽しんでいる。
欲しいものは与えられているし、それを友人らと分かち合っている。

笑顔を絶やさず、親の愛情を疑うこともない。
誰をも憎まず、皆に好かれ、日々を楽しむ。

「一緒に遊びたいから、お兄ちゃんが好きなことを教えて」
心からの歩み寄り。少し考えて、答えた。
「僕は盗むのが好きだ。店にあるものを、こっそり鞄に入れる。店員に見つからなかったら君の勝ち。やってみる?」
あいつは眉頭を上げて、じっと僕を見た。
「そんなの、すぐに飽きちゃうよ。もっと長く遊べるゲームはない?」
言葉を選んでいるのがわかった。
なぜ『それは悪いことだ』と言わない?
僕と上手く付き合うためか?
なぜ親に言いつけない?
僕を排除したくないのか?

答えは出ない。
だから、決めたんだ。
孵化するまえに、こいつという卵を叩き割ってやろう、と。

僕は捕食者。
あのクソガキが、僕の本性を目覚めさせた。
飽きないゲームの始まりだ。
MEMORY.4
『世の無軌道を知る神よ』
僕が神なら、彼女は殉教者だ。
僕のプロジェクトを守るために、彼女は自らを犠牲にした。
こんなはずじゃなかった。
すべて計画通りに進んでいたのに、馬鹿女がしくじった。

ここまでのあらすじ。
計画の主軸に置いたのは、櫟 夜翰だった。
一目見て、ヨハネには葛藤や不満が慢性的に燻っていると感じた。11歳だった彼を追い続けて、もう8年。
そろそろアウロラに会わせたいと思った。
他の駒も出揃い、僕のボードは相関関係図で埋まっていった。

だが、なにか物足りない。
中心がヨハネでは充分と言えない。

一方で、アウロラは独自の人間関係を開拓しつつあった。
7人の少女。それぞれが思春期の悪臭に包まれながら、自己顕示欲を剥き出しにしている。

セブンスコードは繁栄を極め、治安維持部隊として配置したSOATも興味深い動きを見せていた。
そして、見つけた。
主軸に置いて、最適な人物を。

あと一手。
教授の庇護から引き剥がし、アウロラを丸裸にする。
これで何もかもがスムーズになるハズだった。

本来。
彼女の失脚など、望んでいなかった。
彼女が親子水入らずで余暇を過ごそうなどと、考えるはずもなかった。

間違った方向にドミノが倒れる。
もはや、引き返すことはできない。

知っているよ。僕が神ではないこと。
僕はただ、セブンスコードの脳を切り開きたかっただけ。
それを無意義に貶めることに、意義を感じただけ。
MEMORY.5
『終幕』
唯一の人間?
唯の人間?
ダブルミーニングだね。

僕が見つけた『主人公』は、他の人間をも主人公に変えていった。
彼がそれぞれの性質を内包し、記憶していくことで、完成形に近づいていく。
思った通りなのに、思った通りがつまらない。
そういう気持ちがなくちゃ、生きていけない。
難儀だね。

常識を薙ぎ倒しながら進みたかった。
それは常識ありきの考え。
道を踏み外したいのは、道を知っているから。

残念ながら、僕はクソ真面目な人間なんだ。

始まりは侘しい情景。
徹臭い押し入れに隠れて、綿の出た布団に顔を埋める。
どうして殴られるのか、どうしたら殴られずに済むのか、考える。
なにをすれば愛してもらえるのか、考える。

「なにをすれば愛してもらえるの」と訊かれても、答えられなくて当然。
僕自身が答えを知らずに生きてきたのだから。

僕を叔父と呼ぶ、弟。
悔しいけれど、僕はあいつに憧れていた。
いまとなってはどうでもいい。
とっくに、僕の命運は尽きている。

可笑しな話。アウロラが少女たちを襲ったとき、シンパシーを感じた。
おそらくアウロラは愛して欲しかったのだろう。
ふと、僕のしていることが救済だと思えた。倫理に反していたとしても、責められたものじゃない。

嫌われ者の善行は、偽善者の悪行より綺麗だ。

僕も一度は、主人公になりたかったよ。

ヘッダ HEDDA

MEMORY.1
『リーダー≠センター』
あたしが中学でやりたいことは、ひとつだけ。
アイドル! ただのアイドルじゃなくて、世界的! みたいな。

小さい頃、あたしとお兄ちゃんが歌ってる動画をママがアップしたの。
世界中から『いいね』された。
でも、2本目、3本目は選曲と服の色がイマイチだったみたい。
お兄ちゃんは、あたしのためだけに作曲してくれるって約束した。ほんとうに音大に行ったんだよ?

あとはメンバーを集めるだけ。
小学校から一緒のドリスとファニ。
ドリスはひょろひょろしてるだけで、ファニは男みたい。
あたしだけ目立っちゃうかな?

3人でもできるけど、あと4~5人は集めようってことになった。
どんな子がきても、センターはあたしって自信があるんだ。
誰よりもがんばってるし、才能あるし、かわいいし。

ファニが、エルケとコニって子を。ドリスが、ゲルタって鈍そうな子と、アリセって気の強そうな子を連れてきた。
さいしょ、アリセには気をつけなきゃって思った。ダンスうまいし。
でも、間違ってた。

地味で、マジメで、つまらない。
そんなエルケが、メンバーを仕切り始めた。自然と、そうなってしまった。

わかってるよね? リーダーが誰であろうと、センターはゆずらない。
リーダーなんてマネージャーと変わらない。裏方だよね。
MEMORY.2
『いちばん』
違う。ドリスが退がるの!
そしたらエルケが前に出る。
あたしの言うとおりにやれば、間違いないんだから。

「フォーメーション、みんなで考えたほうがよくない?」
あたしのお兄ちゃんが作った、あたしのための曲なんだよ?
「でも、歌詞はエルケが書いてるんだし」
あんな歌詞、誰だって書ける。
「曲ごとにセンターを変えたほうがいいんじゃない?」
冗談でしょ? ナニ言ってんの?

こんなにがんばってるのに。
なんで文句ばっかり言うの?

でも、がまんしなきゃ。自分勝手やってたら嫌われちゃう。
最近のアウロラみたいに。

「わたしはトクベツ」ってバカみたいに繰り返してる。
歌えるわけでも踊れるわけでもない。努力もしない。ただゲームして、あたしたちを撮影してるだけなのに。
「あんたも参加すればいいのに」
ムリってわかってて、誘ってみた。

「あなたたちはバラバラ」って言われた。ムカツク。
あたしがみんなをまとめる。
ハルツィナを、いちばんにしてみせる。

エルケが、セブンスコードっていう新しいVR空間について話しだした。
広告塔になるアイドルを探してるオジサンがいるって。
そのひとと会って相談することになった。
いわゆる『売り込み』。
あたしを見れば、きっと気に入るはず。

やっぱりね。
あたしは、いちばんのグループの、いちばんの人気者になる。
MEMORY.3
『努力・責任・断頭台』
歴史的にも、妬まれやすい女性は槍玉にあげられるの。
マリー・アントワネットだって贅沢して当前なのに、処刑されちゃった。
王妃には、王妃らしく振る舞う責任があるのに。

アリセもあたしを妬んでる。きっと他の子たちも。

小さい頃から慣れてる。
みんな、あたしが羨ましくてしょうがないの。
ドリスとファニがおどおどしてるのも、あたしには勝てないってわかってるから。
そういうのは自然なこと。
不自然なのは、アウロラみたいな子。

偉そうなエルケは気に入らないけど『アウロラ排除』には賛成。あの子、不気味すぎるもん。
あたしのこと、じーっと観察してるみたい。
「あなたは7人のなかで最上位ね」だって。
あたりまえじゃん。努力してるもん。

あたしがバイバイしようって決めたら、バイバイ。
あたしは、あたしのしたことに責任を持つって決めてるの。
恨むなら恨んで。
ハルツィナがうまくいかなかったら、それもあたしのせい。
最初から失敗すると思いながら歌ったりしないけどね。

あたしはぜんぶを背負う。
努力してダメなら責任を持つ。
だけど、最後までプライドは捨てない。
断頭台に向かうときも、すっと背筋を伸ばして。
MEMORY.A.1
『the Doll House』
なにが起きたんだっけ。
あたし、待ち伏せをされた。
あれから、どのくらい眠っていたんだろう。

ここはどこ?
教室。
でも、ぼろぼろ。まるで何十年も使われていないみたい。
みんながいる。ハルツィナのメンバー。
それぞれの席に着いている。
「ねえ」って肩をつついても、誰も返事をしてくれない。
目は開いているのに、どこも見ていない。
人形?

チャイムが鳴って、気づいたら教壇に先生がいた。
待って。ちがう。
真っ黒な影だ。人じゃない。
ソレはぐんぐんと大きくなっていく。天井を舐めるように教室を覆い尽くしていく。
「あなたは天使? それとも悪魔?」
氷の息を吐きながら、ソレは言った。

…… 凛烈なる心にて、傲慢たる者を罰せよ。

傲慢? あたしとなんの関係があるの?

やだ。こわい。
誰か助けてよ。

「大丈夫。きっと、アウロラが助けてくれるよ」
コニ?
「なんで喋れるの? みんな、人形なのに」
「人形なんかじゃない。わたしは、みんなに会いにきたんだよ」

コニは泣いていた。
あのときと同じように。
MEMORY.A.2
『Passing Away』
「なにも憶えていないのね。思い出さなくてもいい」
朽ちた教室で、コニが言う。
「ねえ、なにか変なの。とても身体が冷たいの。空気を感じない」
「ここには重力も気圧もないの。だから、かな」
「ここはどこ?」

コニは答えてくれなかった。代わりに「みんなに伝えたいことはある?」って、質問を返してきた。
「みんな。みんなはどうしたの? なぜ動かないの?」
「わたしが話せるのは一度に一人だけ。いまはヘッダと話しているから、他のみんなとは話せない」

なんで、コニだけ?
……あの夜。あたしたちは練習の帰り道、ガードレールに腰掛けているアウロラを見つけた。
「待ち伏せ? 言ったよね、もうオワリだって」
アウロラがナニを持っているのか、よく見えなかった。

たぶん、あたしが最初だった。
痛いとかはなくて、どすんとした衝撃に驚いた。
『この子、ナニやってんの?』って思った。
身体が濡れているのがわかった。生温かい、水よりも重たい液体。蛇口をひねったみたいに、あたしの首や肩に流れてた。

やっと痛みを感じた。
すぐに爪先から冷気が広がって、景色が暗くなって、みんなの悲鳴が遠のいた。

もうだめ。ママとお兄ちゃんのことを少し、考えた。
どうしてこうなっちゃったんだろうって、悔しいままに。
あたしは死んだ。
MEMORY.A.3
『Cornelia』
「なにが起きたのか、思い出したよ」
あたしは幽霊になったんだ。
「みんなも同じだよね?」
でも、コニは違う。
「あんたはひとりだけ、助かったんだね」
コニは返事をしない。
「他にも助かった子がいるの?」

「助かるって言葉、違うと思う」

あんたは生きてるんでしょ?
あたしは死んだんでしょ?
「助かったんじゃないなら、他になんて言うの?」
「残された」

残りたかった。あたしが残りたかったよ。
生き残ったことで被害者ヅラしてるコニが、憎い。
「わたし、みんなに会いに来たの。もっと早く来るべきだった。ルシファーの言葉に耳を貸さないで」
ルシファー?

「ヘッダはヘッダのままでいて。負けないで」

うるさいうるさいうるさいうるさい。
そんなことはどーだっていい。
なんでコニなの?
みんなのなかで『たったひとり』として選ばれるのは、あたしのはずなのに。

「あんたはアウロラに媚びてたもんね。だから生き残って、そうやって偉そうにしてる。カッコわるいね。あたしを、見下さないで」
コニは少しだけ目を丸くして、微笑んだ。

「いつものヘッダだね。そのままでいいよ」

いつものあたし。
こんなあたしだから、ルシファーに選ばれちゃったんだね。
もっと時間が欲しかった。
もっと、変われるチャンスが欲しかったよ。

アリセ ALICE

MEMORY.1
『わたしじゃだめ?』
ドリス。モデルみたいにスタイルがよくて、キレイ。
同じクラスだけど、話したことはなかった。

「アイドルやらない?」って、他の子に声をかけてた。
うん。わかる。あの子のほうがアイドルっぽいよね。
わたしなんかより。

何人かに断られて、やっとわたしに気づいたみたい。
何番目? どれだけ妥協したの?
「わたしじゃないほうがいいんじゃない?」
少し困った顔をしてから、ドリスが言った。
「アリセよりダンスが上手い子はいないよ」って。
「やる気があるかどうかが、大切なんだよ」って。

そっか。そうだよね。
ヘッダやコニみたいにかわいくなくても。ドリスやゲルタみたいにキレイじゃなくても。ファニやエルケみたいに人気者じゃなくても。
きっと、わたしだけを見てくれるひとがいる。
きっと、そんなひとを見つけられる。

アイドルになれば、きっと。
MEMORY.2
『キミにはわからない』
制服って便利。
小学生の頃は私服だった。
ウチは貧乏だから、いつも同じ服を着てた。
よくからかわれた。洗濯が間に合わないと、妹の服を着なくちゃならなかった。スカートが短くて、また、からかわれた。

制服なら安心。
でもアイドルの制服は、いつも同じじゃダメみたい。

エルケが考えてきたデザインは、すごく豪華で『ホンモノのアイドル』みたいだった。
「もっと練習して上手くなってから作らない?」
「ダメだよ。ライブに間に合わないもの」
ライブ? え、聞いてない。
「配信でいいじゃん! なんでお金かけなきゃいけないの?」
「他と同じじゃダメだから。チラシの印刷代も用意してね」
待って、待ってよ!
もし、払えないって言ったら。みんなはわたしをどうするの?

ドリスが「相談きくよ」って隣に座った。
お金持ちで、スタイルがよくて、そのうえ優しいんだ?
余裕があるひとは違うよね。

ひとりになりたかった。廊下のすみっこまで走った。
気づいたら、ろーらがうしろに立ってた。
「お金、払ってあげる」
「そんなのよくない。ろーらもお金持ちなんだ?」
「違う。用意するお金は税収の一部。あなたの親が支払ったものを還元すると言っただけ」
え? 意味わかんない。

「あなたはいつもドリスに嫉妬している。あなたは、あなたにしかなれないのに」

気づいたら、わたしはろーらを叩いていた。
MEMORY.3
『選ばれないわたし』
「セブンスコードで活動することになったから」
すごい、いきなり。
ヘッダが決めたら、それで決まり。
今回はエルケとゲルタも賛成みたい。

プロデューサーのユノキさんとチャットして、売り方もわかった。
あやしいところはないって確認もとれた。
あのライブ1本で運命が変わった。
「このことはメンバー以外には秘密だから。アウロラも遠ざけてね」
賛成。そもそも部外者だもの。

「待って。わたしはアウロラと友達のままだから」
突然、コニが立ちあがった。こんなコニ、はじめて。
「活動が忙しくなったら会ってるヒマないよ。放課後の練習も収録も、ろーらには見せられなくなるし」
コニとろーらはクラスが別だから、ほとんど遊べなくなる。
「アウロラはメンバー同然でしょ? 遠ざけるなんてオカシイ。アリセを外せって言われたら、ドリスはどうする?」

……なんで、わたし? ドリス、なにか言ってよ。

「わたし、やめる。アイドルやめるよ」
コニの態度はハッキリしてた。
「ボクらとは友達やめるってこと?」
ファニは悲しそうだった。
「そこまでして、ろーらを選ぶの?」
コニは黙った。

「ろーらのこと、みんな嫌ってる。わたしたちよりろーらを選ぶの、ヘンだよ」
わたしは嫉妬してた。
みんなに引き留められているコニに。
コニに大切にされている、ろーらに。
MEMORY.A.1
『the Doll House』
ここに来てから、時間の感覚がない。
廃校の教室。
でも、わたしたちの教室。
まるで、世界の終わりにタイムスリップしたみたい。
ハルツィナのみんなは静止画。
動かない。きっとニセモノ。
ニセモノのドリスも美人。

チャイムが鳴る。なにかが始まるの?
教壇に、どす黒い影が現れた。大きなうねりが押し寄せる。

…… 迅雷が閃光のごと、嫉妬の罪を裁け。

影は教室を這い回り、わたしに顔を近づける。
「あなたは蛇? それとも竜?」
青白い牙が、わたしを痺れさせる。
嫉妬。わたしはいつも、誰かを妬んでいた。

もう、あきらめちゃおう。
自業自得だよね。

「大丈夫。きっと、アウロラが助けてくれるよ」
コニ?
「わたし、キミが妬ましいよ」
「そうだよね。不公平だったと思う」

コニは泣いていた。
あのときと同じように。
MEMORY.A.2
『Passing Away』
「まだあきらめないで。あなたはアリセのままでいて」
朽ちた教室で、コニが言う。
「もうムリ。だって、しかたがないなって思うもの」
「あなたは重すぎる報いを受けた。利用されてはダメ」
利用される? 誰に?
「ろーら? ろーらが、わたしを?」
コニは頭を横に振った。

「アウロラの望みは、もっと単純だった。ただ、わたしたちと元どおりになりたかっただけ」
「ろーらが悪いんだよ。元どおりになんてなれないじゃん。もう、二度と」

わたしとヘッダだけ、だったのかな?
そのあとのことは知らない。
ドリスは、どうなったんだろう。

……あの夜。わたしたちは練習の帰り道、ガードレールに腰掛けているアウロラを見つけた。
ヘッダが向かっていった。わたしはアウロラが銀色のナニかを持っているのに気づいて、マズイって思った。

わたしの目と頬に、飛沫がかかった。
ヘッダの温度。
あ、次はわたしだ。逃げなきゃ。スローモーション。
走り出そうとしたのに、身体が硬直していた。
「やめて」って、言ったと思う。
ろーらにも聞こえたと思う。
でも、やめてくれなかった。

倒れたんじゃなく、アスファルトが飛びかかってきたような錯覚。
頬骨がぶつかったのがわかった。
世界が横向きになってから、倒れてるって理解した。

他のみんなは逃げられるんじゃないかなって。
それってズルイんじゃないの? って思いながら。
わたしは死んだ。
MEMORY.A.3
『Cornelia』
「コニは死ななかったんだね。ずっとろーらをかばってたから」
ズルイ。
「ドリスは? ドリスもろーらには親切だったよね?」
あんなことをされるのオカシイ。
「ドリスは死んでないよね?」
叫ぶみたいに、わたしは詰問した。
「優しいね。アリセみたいな友達がいて、ドリスはしあわせだよ」
それ、答えになってない。

「ろーらを味方にできたコニこそ、ラッキーだったよね」
それで生き残れたんだもん。
「アウロラは誰の味方でもない。いまも、ひとりのまま」
「でもコニは、ろーらの友達なんだよね?」
「そう思ってた。アウロラが本当にトクベツなんだって、知るまでは」
知ってたんなら、わたしたちに警告できたんじゃないの?

「わたしのことは許さなくていい。レヴィアタンの言葉に耳を貸さないで」
さっきの、大きな蛇のこと?

「ヘッダは傲慢。アリセは嫉妬の悪魔に狙われているの。レヴィアタンに憑かれたら、嫉妬の渦に呑み込まれる」
だからもう。それはわかってるんだってば。
自業自得なの。
だっていまも、コニが妬ましくてしょうがないもの。

「わたしはただ自信がなかっただけ。自己嫌悪するたびに、才能とかお金が足りないせいだって、恵まれた誰かを羨んでた。そのほうが楽だったから」
足りないぶん、頑張ればよかっただけなのに。
「でも、ろーらのやったことはヒドすぎるよ」
「うん」って、コニが頷いた。
「コニだってズルすぎる」
もう一度、コニが頷く。

妬ましいよ。
コニはろーらと一方通行じゃないから。
なんでわたしは、誰からも選ばれなかったの?

ゲルタ GERTA

MEMORY.1
『イライラするの』
親、先生、友達。
誰かが何気なく口にした一言。頭に残ってイライラするの。
電車で本を読んでいるとき、お風呂で髪を洗ってるとき、ふっと思い出してイライラするの。

お母さんが「今日も不機嫌ね」ってイヤミっぽく笑う。
「ためこまないで、ムカっときたときにパっと言っちゃいなさい」
そんなことしたら嫌われる。
そういうのが許されるタイプって、私が許せないタイプの子だから。

ヘッダとアリセは、そういうタイプ。思ったときに思ったことを言っちゃう。
ファニはからかうばかりで、ドリスはオドオド。
リーダーのエルケが注意するまで、みんな好き勝手やってる。

そういえばコニって、なに考えてるんだろう?
いつも輪の外で、ろーらとふたりで黙って見てる。

「ねえ、どうしていつも怒っているの?」
ろーらが言った。私を観察してたの?

それってほんと、イライラする。
MEMORY.2
『花火のキラメキ』
最近、みんながろーらの悪口を言い始めた。

誰が始めたかはあやふやで、もしかしたら私かもしれない。
ちょっとしたグチに、誰かが同調して、誰かが膨らませた。
でも、そのおかげで結束できてたりする。

アイドル練習のあと「校舎の屋上で花火をしよう」って、ファニが詰め合わせを持ってきた。
色が変わるやつ、彼岸花みたいにはじけるやつ、頼りない線香花火。
アリセがバケツに水を汲んできた。安全第一。
ろうそくを立てて、着火。しゅーっと光が吹き出す。

あれ? ろーら、来たんだ?
コニが誘ったのかな。
「ろーらは花火もはじめてでしょ?」
「ほら、こっち側を持って。火をつけてみな、キレイだよ」
「終わったら、バケツの水に浸けてね」
みんな『嫌われ者にも優しい私』を演じてる。

緑、黄色、赤、あっという間に一本、また一本。
花火はバケツに放り込まれていく。
さっきまで輝いていたものが、湿った紙屑になっていく。
私たちの『今』も色褪せていく。
みんなの捌け口になっていたろーらは、このバケツみたいだなって思った。

「卒業して、オトナになっても。忘れちゃいやだよ」
本心だった。
ろーらだけは、この瞬間を忘れないんじゃないかって気がした。

それからすぐのことだった。
エルケとヘッダが、ろーらを『はぶく』と決めた。
MEMORY.3
『ぜんぶあなたのせい』
もう限界。
ドリスが「ハルツィナを抜けるかも」って相談してきた。それを黙ってたことでエルケとアリセから責められた。
みんなはろーらを『はぶく』と言い、コニは「それならやめる」と言う。
ファニは中途半端で、ヘッダはみんなを支配しようとする。

「みんな黙って!」
全員沈黙。
「ドリスはモデルやりたいんでしょ? だったら抜けて。代わりにアウロラを入れればコニは納得だよね? あとはみんながガマンするだけ。これ以外の方法は受け入れない」
「でも、セブンスコードの契約が……」
「エルケが決めたんだからエルケがハナシつけて」
「アウロラはアイドルをしたくないかも」
「そっちはコニがなんとかして」
「ろーらと活動するの、わたしはイヤ」
「アリセはガマンの意味わからない?」

ここでヘッダがクるのは予測してた。
「なに偉そうに指図してんの? あんたが決めることじゃないでしょ」
「指図してるのはあなた。いつもみんなをイラつかせる。謙虚になって」
再び、全員沈黙。
これで解決するはずだった。

「面白いね。あなたたちは、人間そのものだね」

アウロラが来て、意味不明なことを言った。
「あなたも人間でしょ」
私が返したら、なぜかコニがびくっとした。

「みんなのために、人間になってもいい。もう、トクベツをやめたいの」

なにそれ。キモチワルイ。
オワリだよ、アウロラ。
あなたとはつきあえない。
MEMORY.A.1
『the Doll House』
泣いて、喚いて、眠る。
目覚めたら、その繰り返し。
教室の扉は頑丈で、机を投げつけても破れない。
こんなに古びているのに。

ハルツィナのみんなにイラつく。
無反応。ときどきまばたきをしているけれど、動かない。
話しかけても無駄だとわかって、全員を突き倒した。
みんな、目を開けたまま床に横たわっている。

耳障りなチャイムが鳴る。
ごおっという音がして、教壇が燃え始めた。

…… 烈火炎々、憤怒の罪を焼き尽くせ。

「あなたは悪魔ね。私たちもみんな悪魔」
深紅の爪が、私の頬を撫でた。
悪魔を創り出すのは人間。
人間こそ、赦しがたい悪魔。

『赦せないこと』は疲れる。自分を削る。
おなかのなかが熱い。
胴が抉られそう。

「大丈夫。きっと、アウロラが助けてくれるよ」
コニ。
「余裕ね。あなたはいつも免除される。誰からも咎められない」
「わたしが何も決められなかったせい。覚悟がなかったせい。でもいまは、みんなの力になりたいの」

コニは泣いていた。
あのときと同じように。
MEMORY.A.2
『Passing Away』
「感情に支配されてはダメ。あなたはサタンを引き寄せている」
サタン。やっぱり悪魔なのね。
「支配されないために、感情を吐き出したいの」
「解るけど、このままではゲルタ自身を焼き滅ぼしてしまう」
違う。滅んだりしない。
燃え尽きないから、地獄なの。

「憤怒は、最も本能的なのかもしれない。腑から湧き起こる」
「最も? 他になにがあるというの?」
「アウロラは、わたしたちの性質を七つの大罪になぞらえていた」
何様のつもり? 高みから見下ろして、私たちを分類したの?
まるで虫けら扱いね。

……あの夜。練習の帰り道、アウロラがヘッダを襲った。続け様にアリセも。次は私だ。身を守り、反撃しなくてはと思った。
一撃目は鞄に当てさせた。
次をどうやって躱すか、1秒で無数の考えが浮かんだ。
どれも実現不可能な考えはかり。

手詰まりになって「逃げて」と叫んだ。
振り返ると、ファニもドリスもコニも、馬鹿みたいに立ち尽くしていた。エルケは通報の姿勢になっていた。
『せめて大声で助けを呼んだら?』ってイラついた。
そのとき、背後から喰らった。
ヘッダとアリセを襲ったあとだったから、それは鈍い打撃になっていた。私はよろめいて、両の掌と膝をついた。

次の瞬間、ぷつりとブラックアウト。
首を折られたのだろう。何を思う間もなく。
私は死んだ。
MEMORY.A.3
『Cornelia』
「アウロラはいま、どこにいるの?」
コニは「わからない」と答えたけれど、嘘だ。
「あなたがアウロラを引き入れた。ハルツィナのメンバーでもないのに、仲間として扱った。ぜんぶあなたのせい」
気が弱いコニは、これで黙るはず。

「違うよ。みんながアウロラを仲間にしたんだよ」

意外。反論するんだ?
「ゲルタは忘れてる。アウロラと過ごして、楽しかったはずだよ」
「そんなはず、ない」
「アウロラは忘れてないよ」
「だったらなぜ、あんな残酷なことをしたの?」
「忘れられなかったからだよ」

忘れることと、赦すことは、近い。
そうできたら楽なのに、と思う。

「私は、アウロラのしたことを忘れない。アウロラを放さない」

コニは俯いて、言った。
「だとしたら、もうすぐなにもかも忘れられるよ。あなたは憤怒の感情と、その柱を守ることだけに夢中になる」
柱?
「あなたは、自分が誰なのかも思い出せなくなる。それでもいいの?」
いいよ。
自力で忘れるより、赦すより、簡単で素敵。

サタンの力が手に入れば、怒りで怒りを産み出せる。
みんな、私と同じになればいい。

アウロラ AURORA

MEMORY.1
『記憶の出発点』
その時代、『生』と『死』の境目は曖昧だった。
『死』を定義できなかった。

肉体に大きな損傷があれば判断が易しい。自然死の場合、誤って生きたまま埋葬される者も珍しくなかった。
呼吸や脈拍を正確に測定する術もなかったし、仕方がない。

声を出さなくなった。動かなくなった。
その状態を『死』と捉え、彼らはわたしに死装束を着せた。
鹿の毛皮を縫い合わせたドレスと帽子。熊の皮で作られた靴。神への供物や巫女と同じ扱いをしてくれた。
副葬品としてハナウスユキソウが手向けられ、風葬の処置がなされた。

何度か鳥に啄ばまれたけれど、傷はたちまち塞がった。
氷の礫が吹きつけても、痛みすらない。
凍傷になるまえに新しい細胞が作られ、肉体は代謝を続けた。
苔や微生物、自らの剥がれた組織すら喰らい、形が保たれた。

その12ヶ月の間に、地殻変動によってクレバスが出現した。
わたしは眠りながら、深い深い裂け目に落ちた。

4年間の覚醒ののち12ヶ月間眠り続け、また4年間の覚醒。
クレバスから出られぬまま、同じサイクルを何百回か繰り返した。
もう、時間の感覚はなかった。

山岳隊が覗き込む。
毛皮、藁や草を編んだものではない。
彼らが纏っている布が、物珍しかった。
誰かが「生きている」と叫んだ。
聞いたこともない言語。
Elle est en vie.

生きている?
いま思うと、それは間違い。

この時代でも『生』と『死』の境目は曖昧だった。
MEMORY.2
『共感性の発露』
「ジュマペール、ユウダイ・スギウラ。わかるかい? マイネームイズ、ユウダイ」
防護服ではない人は久しぶり。
初めて会ったとき、彼は青年だった。
もしかしたらと期待した。
もしかしたら、彼もわたしと同じ種かもしれない。

スイスを出て、イタリアを周っていた頃。彼に一本の白髪を見つけた。
期待は打ち砕かれた。
ナポリからローマ。フィレンツェからミラノ。半島を北上する間、研究者たちはわたしを観察し続けた。

スイスが『わたしの保有権』を放棄し、ドイツへ渡した。
ドイツは国際的研究機関を立ち上げ、全世界の限られた研究者たちに情報を開示した。
言葉を持たなかったわたしは、彼らが何をしているのか判らないまま。
彼らもまた、わたしの正体に見当すらつかないまま。
数年が経過していた。

「ここは聖堂だ。カテドラル。神を讃えるための場所」
あれが神? 人間に見える。
「そしてここは礼拝堂。壁や天井に描かれているのは人類創生の場面だ」
そんなことよりもユウダイ。白髪が一本、生えているわ。
指さしたけれど、彼は首を傾げるばかりだった。
鏡を見せなくてはと思った。

「ああ、白髪。それを伝えたかったのか」
どうして笑うの?
「老化現象だよ。君とは無縁のものだ」
なぜ無縁なの?
「君はトクベツだからね。でも一緒に旅をしてみて、君の心は我々と通じていると感じたんだ。肉体だけでなく、心も探らねばならないね」
心?

「鏡を見せなくては、僕に白髪を認知させることはできない。そうやって君は、他者の認知過程を推測できた。共感性を持っているということだ。共感を積み重ねていけば、君の情緒は発達していくだろう」

ドイツの研究者も、ユウダイの案に賛成した。
わたしの心を探るべきだ、と。

日本に移されたとき、ユウダイはもう青年ではなくなっていた。
「同じ年頃の友達をつくらなくちゃね」
MEMORY.3
『水平線の彼方』
死は平等。

人間は制限を作るのが好き。
生きているうちに『絶対にしないこと』を決めている。
たとえば『殺さない』『奪わない』『裸で街を歩かない』。
だけど、『死ぬこと』だけは『する』。
経年劣化を重ね、100年もしないうちに死んでしまう人間が多い。

星も代謝と変容ののち、いつしか燃え尽きる。
『環境に適応して生物は進化を遂げた』
人間はそう考えているようだけど、種の存続のために適応力を身につけることが『進化』であるとは思えない。

生まれて15年間で、彼女たちには大きな個体差が生じている。
先天的か後天的かは判らない。

あの子たち7人は、まるで役割を分担しているかのよう。
見ていて面白い。
ユウダイが言った。
「なにものでもない、普通の少女として過ごしてごらん」
でも、わたしはトクベツなんでしょう?

体育祭という催しの練習中、ドリスが転んだ。
膝に血が滲んでいた。
「いつになったら治るの?」
「すぐには治らないよ。痕になるかもしれないね」
コニが教えてくれた。
実際に、その傷は2週間くらい消えなかった。

仲間を見つけたと思ったのに、やっぱり違った。
わたしが怪我をしたところを見たら、みんなは驚くだろう。
そのときに備えて、「トクベツ」ということを伝え続けることにした。

沖縄の砂浜で、コニは言った。
「終わらないものがある」と。
でも、彼女は『終わり』に向かっている。
一分一秒、死へと向かっている。

彼女は、太陽が永遠だと思っている。
昇り、沈み、また昇るのだと信じている。

本当の意味で太陽が『沈む』としたら、誰がそれを見届けるのだろう?
それを目にする者がいなかったとしたら、太陽は永遠かもしれない。

あなたが見届けられないものすべてが、終わるし、終わらない。
MEMORY.4
『?』
そのとき、わたしが考えていたこと。
はっきりと思い出せない。

初めての感情。衝動。
なにかに操られているようだった。
想像より、力が必要だった。
想像より、それらの肉体は頑丈だった。

わたしは、こんなことを望んでいたの?

取るに足らない出来事。
すぐに忘れてしまうだろう。
彼女たちは特別ではないから。
それなのに、涙がとまらない。

これでは普通の人間と変わらない。
愚か。孤独。感情的で罪深い。

悲しみや後悔というもの。
知りたくなかった。
依頼心や親愛というもの。
知りたくなかった。

早く眠りたい。
いつまでも眠り続けたい。
MEMORY.5
『終わらない夢』
「心の準備はできたかい?」
無数のチューブに繋がれているわたしに、ユウダイが尋ねた。
「これから12カ月間、君は眠り続ける。だけど向こう側で会える。安心して欲しい」
4年ごとの、休眠期間が訪れた。

長い4年間だった。
研究所の外で多くを学んだ。
彼らは略奪をする。
彼らは戦争をする。
彼らは殺戮をする。
彼女たちは消えた。

「僕と、彼女たちと。セブンスコードで過ごすだけだ。怖がらなくていい。彼女たちは、こちら側のことを何も憶えていない」
「なにも? コニは?」
「もう一年が経ったからね。コニは承諾してくれたよ。君との面会を」
「憶えているのに承諾したのね。コニはわたしを許したということ?」
ユウダイは悲しそうな顔をしただけで、返事をしなかった。

セブンスコード。
世捨て人の魂が集う『理想郷』。
わたしは、彼女たちのステージを眺め続けた。
この一年間、高い塔の上から見守った。

休眠期間中はログアウトができなくなる。
この街に、わたしは縛られる。
コニに避けられたなら、辛い12カ月間になるだろう。

……?
違う。この子はコニじゃない。
彼女たちも、ぜんぜん違う。誰なの?

……そう。趣旨は理解したわ。
ユウダイは、このことを知っているの?

きっと、わかってくれるわね。
わたしには必要なことだもの。
疑似裁判のようなもの。審判を繰り返し、人の罪を炙り出す。
『もうひとりのわたし』を創り、裁く。

セブンスコードがある限り、誰もが終わらない夢に囚われる。

ぜんぶ夢。
はじめから、ぜんぶ。

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