MEMORY.OF.XXXXX

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橿原唯人

MEMORY.1
『無痛』
僕に特別なところはない。
兄に懸けられた期待、妹に注がれた愛情、それらを背負わずに育った。

僕は、兄が上手く教育できなかったときのスペア。
ワイシャツのタグについているボタンと同じ。
間違いなく機能し、道を踏み外さなければいい。
兄が優秀だと断定されてからは、スペアとしての役目もなくなった。

数ヶ月前、大学受験をしないことに決めた。
かといって就職活動という気にもなれず、履歴書の長所・短所も空欄のまま。

こんなにも『うだつのあがらない』僕を、選んだ人がいた。
イサクとミライ。

付き合い方にはルールを設けた。
受容できることと、できないこと。線引きをした。
『任務外でも会いたい』受容可。時間が許せば。
『リアルでも会いたい』受容不可。不必要。
『メシ食おうぜ』? 受容して、問題はない。
『あだ名で呼び合おうぜ』?? それは、イヤだ。
『じゃあ、コンビ名をつけようぜ』??? なぜ?

「だってオレたち…… 相棒だろ」

あのときイサクは『相棒』以外の単語を口にしようとして、直前で修正してきた。


他人の熱を感じるほどに、冷めていく。
他人の痛みを感じるほどに、麻痺していく。

僕のために怒ったり泣いたりする人間なんて、いない。
そんな人間は、いないほうがよかった。
MEMORY.2
『疼痛』
誰かの存在を有り難く思うのは、誰かが不在のとき。
わかっていた。それが当然だという事。

隣から口出しをされると、本気で鬱陶しい。
でも静まり返ったときに、物足りなさなのか、心細さなのか、もしかしたら『寂しさ』を覚える。

これまでの僕に、不手際はなかった。
叱られることもなかった。
嫌われずに過ごした。
好かれなくても気に留めたことはない。

愛憎みたいな振り切れた感情は、別世界にあるもの。
記憶に残らない人間。
心を揺らさない人間。
それでいい。それでいいのに。

「リアルでもさ、会おうぜ」
そんなことをしたら、せっかくのセブンスコードが台無しだろ。
でも。
「会いに行くから」
そう言わなきゃ、そうしたいと思った。
だいたい、もう壊れてたんだ。
セブンスコードも僕も。

アウロラ。
君の発した光が、影絵の世界をつくりだした。
複雑で、乱暴で、腥い。
極光がおとした影は、生き物の形をしていた。
MEMORY.3
『鈍痛』
他人の身体に慣れることはない。
暑いのか寒いのか、わからない。
痒いのに、どこを掻けばいいのかわからない。
一枚の余計な膜。
一拍のタイムラグ。

今月の僕は『本体』の気配を感じなかった。
抜け殻になっているはずのそれが、別人になっていたから。
そして、相対することができたから。

完全な入れ替わりは初めてのこと。

揺れ続ける内臓の気配。
怒ってるけど可笑しい。
可笑しいけど悲しい。
火のついた燐寸を呑み込んだような、焦り。
そういった心許ない感覚は、倍増するのか半減するのか。

「匂いが変わったので、はじめは気づきませんでした」
榊の言葉は明瞭だ。
なんの他意もないからか、解答として僕を落ち着かせる。

榊のこともヨハネのことも、何も知らない。
どこの誰なのか、齢も性別も国籍も知らない。

でも、本質は理解できている、つもりだった。
MEMORY.4
『激痛』
面接官は、僕を見ようとしなかった。
「志望動機は?」
「御社の運営方針をもとに、ユーザーに規則遵守を促したいから、です」
「それは志望でも動機でもないね。あと、ウチは会社じゃないから」
『御社』と呼べないのなら、呼びようがない。
「自己アピールは? 履歴書には『誠実』とあるけど」
「はい。約束を破ったことはありません」
「一度も?」
「はい」
ようやく、面接官が顔を上げた。
「だったら、友達が多いんだろうね」
「問題ありません」
肩を震わせ、眼鏡の上から顔を覆い、彼は僕をせせら笑った。
「君さ、質問と答えが絶妙に噛み合ってないんだよね。本当に絶妙だ」
そして僕はSOATになった。

約束は破らない。できない約束はしない。
自分に課したことはある。
『イサクを取り戻す』『ウルカを逃がす』。
そして『アウロラの謎を解く』。

「青柳一朔を取り戻したいのなら、アウロラに執着すべきじゃない」
「いや。アウロラの目的を知ることが唯一の手段なんだ」
「あんたは標的を見誤っている」
僕とヨハネは問答を繰り返していた。

「ねえ、これだけはボクと約束してよ。植能は7以上保持しないこと」
「何が起きてもかまわない。それがアウロラの意志なら」
反論に身構えたが、ヨハネは黙って頷いた。
拍子抜けしたまま、僕も黙った。

約束はできなかった。
ただ、問答を終わらせたくなかった。
あの時間は、どこか心地よくもあったから。
MEMORY.5
『鎮痛』
僕には、特別なところがない。
僕にとって、特別だと思えるものもなかった。

特別な趣味、特別な能力。
特別な時間、特別な相手。
なにも好きじゃないし、なにも嫌いじゃない。
楽しいか楽しくないか、その区別はあったけど。

「大切に使え」と槍を預かった。
「気に入っている」と言っていた。
その槍は、僕の特別になった。

友情とか愛情とか、勝ち負けとか真実とか、後悔とか正しさとか。
みんな、なにかしら握り締めて生きている。
終わったとき、残しておきたいもの。
誰かにとっては無意味でも、どうしたって捨てられないもの。

アウロラ。
君はトクベツだ。
この世界で、はじめからトクベツな存在だった。
でも、僕にとっての特別じゃない。
君は僕だから。
僕は君だから。

取り戻せるものがあるなら、与えられるものもある。

なにも知らなくて、ごめん。
教えてくれて、ありがとう。
それがぜんぶ。

青柳一朔

MEMORY.1
『夢は大リーガーとか言ってたっけ』
「かっとばせ」って、みんな簡単に言うよな。
オレはかっとばすだけじゃない。右に左に打ち分けて、投げて155km/h、
100mは11秒台。
地区予選からスカウトが来るってウワサで、チームは浮き足立ってた。オレを見に来るんだから、落ち着けよ。

その日を間近に控えた、夕暮れ時。
聞いたことのない音が、オレの右肩で響いた。

「まだ一年生だし」などと慰められ、オレの甲子園は梅雨入り前に終わった。チームも予選一回戦で敗退。

蝉時雨の向こう。職員室のテレビから、ブラスバンドの応援が聞こえる。
せめてグラウンドに届かない音量にしてくれよ。
オレはマネージャーとふたり、スコアを記録したり、ボールを磨いたり、すっかり舞台裏の人間になっていた。

それでもガマンできたのは、マネージャーの笑顔があったから。いつもすげーイイ匂いしてて、他のコと違って平気で日焼けしてる。
オレがなにか言うと、恥ずかしそうに笑ってくれる。

まさか。
まさかアイツと付き合ってるなんて。
考えもしなかったんだよな。
MEMORY.2
『日照りから月夜に』
「かっとばせ」ってベンチウォーマーのオレが叫ぶ。
「あなたの右肩は元どおりになりません」って医者は言う。
もう、どうなったっていいや。

補欠のヤツらもみんな、来年の甲子園はないなって空気。コンビニでビールやチューハイを買い込んで、深夜の部室でバカ騒ぎ。
そんなつまらねー動画を、誰が撮る? 誰が見るんだよ。

…… 撮るヤツは撮るし、見るヤツは見るんだな。

校長が頭を下げて『廃部』の二文字を口にした。監督もチームメイトも、悔し泣き。
「飲んだのはオレだけです。オレが退部しますから」
土下座って案外カンタン。狭くて暗い腹んなかを、じっと覗くだけ。

地元のヒーローは、一気にヒールへ。リアルに居場所はなくなった。
さて、どうやって生きてくかな。

SOATの連中は、そんなオレの過去を知らない。
だから居心地がいい。
ただし、組まされた相棒は辛気臭い、つまらねーヤツ。オレが何を言っても、くすりとも笑わない。
だいたい会話になんねーんだよな。

ルールどおりに動く、機械みたいな相棒。
こいつが笑ったら、どんな顔になるんだろ。
MEMORY.3
『おまえがはじめて笑った日』
「だーれだ?」って、目隠しする愛らしいオレ。
いっかいも名前を言われたことがない。だれだかわかってんだろ?

壁当てのキャッチボールが続き、やがてそれがデフォになる。
バッテリーならはじめから役割が決まってるけど。
コンビってこういうふうに役割が決まるのね。

遅刻はしない。借りた金は返す。仕事はキチッと終わらせる。
それがユイト。オレの相棒。
カノジョに疑われ、常に監視されているが気にとめる様子もない。
そこは有難いところで。監視の榊と、最近イイ感じ。

マネージャーの『あのコ』は、オレの元相棒とうまくいってるかな。

「付き合うって、どういうことなんだろうな」
べつに投げたつもりじゃなかったのに。
「互いが信頼に応えることだろ」
めずらしくボールが返ってきた。
だったら……
「相棒って、なんだろうな」
「組んで仕事をする相手だろ」
…… あ、そう。オレってその程度なのね。

しょげたオレに、相棒が言った。
「イサクとの仕事は、仕事じゃないみたいだ」
やっと、笑った。

それがユイト。オレのダチ。

片桐未蕾

MEMORY.1
『メモ:内側にForeverと刻印すること』
常と変わらず私が出勤すると、皆が待ち受けている。
弾けるクラッカー。
「片桐隊長、おめでとうございます!」

その12時間前。
「シフトを操作するのは職権乱用だ」
そんなことばかり言っていたユイトが、めずらしく休日を合わせて某テーマパークに誘ってくれたの。
「忘れ物したみたいだ。とってくる」
「ここで待ってるね」
ベンチで彼を待つ。そしたらなんと、妖精さんが迎えにきたの!
「さあ、お城へ行きましょう」

お城の広場は妖精さんでいっぱい。私を中心に歌って踊る♪
そこへ……王子様姿のユイトが現れ、片膝をつく。
「片桐未蕾。これからの物語を、僕と紡いでくれないか?」
開いたケースにはシンプルなプラチナにプリンセスカットの1カラットダイアモンド☆
私は涙を浮かべて「はい」って頷く。
その瞬間、花びらが舞って、お城から花火があがったの……!

その1年前。現在。
『求婚誘導大作戦』結実の日まで365日をきった。妖精さんの衣装は仕立て屋に注文済みである。
恋は戦と同じ。準備万端に整えねば、勝利の美酒は味わえぬ。

む? メールだ。
『理由なく勤務中に呼び出すのは職権乱用だ』

ルールを守りたがる彼と、ルールを作りたがる私。
ふっ。お似合いじゃあないか。
MEMORY.2
『メモ:大きな傘を買うこと』
もう夕飯時か。
今日も高タンパク・低脂肪・栄養たっぷりのメニューを用意した。
む? 雨音が聞こえる。予報が外れたな。
仕方ならぬ。

……大きな傘で、お迎えに行かなきゃ!

私たちのおうちは駅から徒歩7分の分譲マンション。
静かな住宅街にあるの。あと30年でローン完済ってとこかしら?
自慢は大きなアイランドキッチン!
料理上手な私のために、ユイトが選んだ部屋なの。彼の書斎は子供部屋になっちゃうかも……?
だけどネ♡

『もうすぐ駅。なにか買ってくものある?』だって。
お迎えはサプライズにしちゃおうかな?
『ブルーベリーをお願いね。明日のスムージーに入れるから』な~んて返信しちゃった!

駅の改札。柱に隠れてアナタを待つわ。
キタキタ! 急な雨に困り顔。
走り出そうとした彼に、傘を差し出す。
「おかえりなさい」
あいあいがさで帰りましょ♪

おうちに着くと、玄関からいい匂い。
「今夜はローストポークとプロヴァンス風のラタトゥイユよ」
「美味そうだ」
ふふふ♡ そっけないけど喜んでくれてるわ!

……以上。
5年後の我々の暮らしだ。

待てよ? 確認せねばな。
『好みの肉の種類を知らせて欲しい』
7時間後、返信アリ。
『豚かな』
ふっ。やはりな。
5年後の今日。夕飯はローストポークだ。
MEMORY.3
『メモ:交際同意条項をトリプルチェック』
私は楽観主義者とは言えない。
夢見心地のときもあれば、疑心暗鬼のときもある。

なぜ、ユイトなのか?
それは彼が『澄んでいる』からだ。
嘘のない人間と信じている。
そんな彼が『濁る』ところは見たくない。

榊のリポートは正確無比である。
ユイトの一挙手一投足が分単位で記載されている。現状で不貞の兆しはない。だが、油断は禁物。

『クチュール』なる、ふしだらな衣類を纏った女の影がある。
その女が現れてよりユイトの挙動に変化が生じた。どこか、虚ろなのだ。

マズイことに青柳のIDが損壊されてしまった。
同等の植能を持つ者を新たな相棒にせねばならぬが、『上』から推薦されたのが椎名鞘子一名のみであったのだ。
椎名は無愛想な女だが…… あーゆーのに限っていざというときに大胆なのだ!
なにやら言動が意味深だし!

乾に椎名の尾行を命じたが、ろくなリポートが上がってこない!
あいつはナニをやってんだ?
どうやら椎名の行動範囲は賭場の周辺のようだが……。

『上』には逆らえぬ。
ならば椎名が不祥事を起こすのを待つしかない。

万が一のことがあったなら。破滅、あるのみ。

信じてるからね、ユイト。
私たちの愛を!
あなたが濁ってしまったときは、全力で浄化してあげる。

榊莉亜

MEMORY.1
『おしゃべり ~わたしにできること』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

わたしと話していて、退屈しませんか?
え……? いえ、わたしは楽しいです。
このおしゃべりが、毎日のご褒美タイムなんです。

仕事ですか? うーん。
わたしは橿原さんを疑ったことがないので、どうして監視をしなくてはならないのか理由がわかりません。
でも、青柳さんが言うような『他の任務』ができるとも思えません。
だってわたしには、嗅ぎまわるくらいしか能がないので……。

え? そんな……。たいしたことは……。
たしかに、このお茶に香りがなければ、ただの苦いお湯かもしれませんね。
それは嗅覚のおかげかもしれません。

このセブンスコードでは、ほんとうの匂いを嗅ぐことができません。
そのひとがどこからきて、どんな性質を持ち、どんな感情を抱くのか。それはわかります。
かといって、干渉して影響を与えることはできません。
これから起こりうる悲劇を、未然に防ぐことはできないのです。

ただありのままを記録し、伝えるだけ。

この街もにぎやかになりましたね。
はじまりにあった匂いは、ひとつだけでした。
あなたの匂いです。

ここは、あなたが創った世界だと思っていたんです。
だって、最初は幸せな世界だったでしょう?
MEMORY.2
『おしゃべり ~未完成な匂い』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

いえ、昨日のことは気にしないでください。
いまが不幸せというわけではないんです。
仕事も嫌いではありませんし、SOATの皆さんが好きです。
ただ、いろいろありましたので。

あの…… 青柳さんのこと、なにか判りましたか?
……そうですか。また会えるような気がするのですが……。
そういえば以前、青柳さんのことを知りたがっていましたよね?
誰と組ませるのかを決めるため、でしたよね。
橿原さんも落ち込んでいます。まるで別人のようです。

わたしはずっと橿原さんを尾け回し…っ…監視していたので、ちょっとした変化にも敏感になっていて。
いまは感情を押し殺しているのだと思います。すぐ近くにいても、その匂いに気づけないほどでして。

…橿原さんの匂い、ですか?
なんと表現すればよいのか……。
万人ウケするタイプ、ではありますね。
まだ完成形も見えていません。

あなたと少し似ています。
他者の移り香に濁らない、澄んだ匂い。シンプルでフクザツ。
……はい。そういうこともあるんです。
あなたの匂いも、輪郭しか完成していません。

と、いうよりも、完成しているひとなんていないんです。
この世界の匂いも、未完成ですよ。
MEMORY.3
『おしゃべり ~タイムパラドックスとこんぺいとう』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

ごめんなさい、今日はお煎餅もお饅頭もなくて、こんぺいとうしかないのです。甘いものはあったほうがいいと思いまして。
ああ、はい……バレてしまいましたね。
そうなんです。このところ味覚のバグが多発していて、まともなお茶請けが手に入らないのです。
え? そんなことができるんですか?
いえ……でも、わたしはこんぺいとうが好きです!

はぁ。温かいお茶にはほっとします。
ところで、タイムパラドックスってなんですか?

……なるほどです。
では、わたしはなにもお話ししないほうがいいのですね?
え? そうですね……確かに『今』も『過去』になります。でも『今』は『未来』なのでしょうか?
主観の問題ですね。相対的です。
『今』が絶対に『今』とは言えません。

わたしの過去、ですか?
お話しするようなことはなにも……。それより、あなたのお話を聞かせてください。

?
それは、いつのことですか?
はい。知っています。氷砂糖で作った蜜を、お鍋で回し続けるんですよね。
核、ですか?
雨粒にも核がありますよね。

わたしの核、ですか?
それは絶対的過去に存在するのでしょうか。
だけど、絶対的な時間軸は存在しないはずですよね。
MEMORY.4
『おしゃべり ~ナイショのおはなし』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

困っています……。
とても恐ろしいことが起きまして。今後、どうやって任務をこなすべきか……わからないのです。
……いえ、それは……思い出したくありません……。

はい? ええ、それは思い出せます!

あの頃は、SOATの隊員も5、6人でしたね。
お客様も少なかったのですが、とっても忙しくて。ユーザー規定も抜け穴だらけでしたね。
開園までに定員にならなかったのが不思議です。応募者は多かったのに……。ああ、そうでしたね。書類審査をされたのは、あなたでしたね。
わたしの合格の決め手はなんでしょう?
……ですよね。秘密ですよね。

あのときの面接官の方が、どなただったのか。わからないのです。
眼鏡をかけた、ほっそりとした方です。
ヒノハラさん? ですか? いまはなにをなさっているんですか?
実験? ……それは、セブンスコードで、ですか?
興味を惹かれますね。あ、はい! わかっています。ナイショですよね。

ほっぺですか?
もう傷はふさがっています。ありがとうございました。
危険? ……そうですね。もう任務がないので。
辞めてしまってもいいのかも、しれません。

でも。まだ、なにも始まっていないように感じるのです。
MEMORY.5
『おしゃべり ~このままがいいのです』
お茶を淹れました。いつもどおり、濃いめです。

はい。さきほどの橿原さんのご依頼ですよね。
これから向かいます。ヨハネさんは、大切な方のようですので。
……大丈夫ですよ。わたしにもイザというときの切り札があるんです!

え? 自分自身に、ですか?
そんなこと、考えたことも……。違います。わたしは、ちゃんと……ちゃんと憶えています。

いつ、どこで?
それは、重要ではありません。

……だから?
だから、こんな想いも忘れてしまえと言うのですか?
忘れられるものなら、とっくに忘れているはずです。忘れるという能力は人間にのみ有効に働くのです。だから…… わたしも、そうしなくては……と。

あんなふうに、綺麗に生まれたかったです。
……それは、あなたの価値観です。
胸の奥が痛いのです。
いえ、傷はありません。

やめて。
やめてください。
痛いままが、いいのです。

杉浦さん。ひとつだけ願いを叶えてください。
この痛みを消さないでください。
この想いを消さないでください。
わたしは、このままがいいのです。

なにも始まらない。
でも、負けない。

……え?
もし、そうなったとしたら。
嬉しいのですか? 悲しいのですか?

ただ、これまでのように。そばにいたいだけなのです

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